2011-08-05

チャネリング:なんでだろうってずっと思ってることが私は好きです

いつからかもわかりませんが、私は自分で考えることをやめてしまっています。自分で考えなくても、宇宙から、万物のエネルギーから、スピリットガイドの誰かが、なんでも教えてくれるから、自分で物事考えないし、決めません。

自分のアンテナを全開にして、どのチャンネルとでも発信があったら受けれる状態にしておいて、ひたすら、問いかけています。特定のガイドを呼び出して、話をするときもありますが、次から次へと私には質問があるので、基本はオープンにしておいてお返事を待つというかんじ。

最近は、このなんでなんだろうって答えを待ちながら、なんでだろうって思ってる自分が結構好きで、心地良いひとときです。

メッセージだけじゃなく、ふとたどり着いたホームページにサインを見つけたり、ふと目に留まった本にサインを見つけたりする日々が楽しくてしょうがないです。

たくさん質問はあるんですけど、中には何年も質問してるけど、未だ答えを教えてもらってないものもあります。まだ、知るときじゃないわけねと思って気長に待ってる時間も大好きです。だって、最高のタイミングでバシッとその答えを教えてくれるから、この瞬間がたまらないです。

こんだけ何年も待たせて、今、そう教えてくれるわけね~っていう瞬間は至福のときです。

質問したら知りたくてしょうがなくて我慢できません・・・って人もいるでしょう。私は以前はそうでした。わからないなら自分で探す勉強する・・・これは必要です。今でも私はこれはします。でも、自分で結論を考えません。結論を待てない気持ちもわかります。

あるとき、知るべきときに知ればいいわけで、そのときは必ず知ることになるから、待つんだよ、なんでも知ればいいわけじゃないんだよ・・・とある人に言われて、なるほどねとシックリと納得。

でも、私にとってはこれは良かったんだけど、ジャーナリストとしては、これに納得しちゃうと仕事にならないです。知るときに知ればいいってことになっちゃったら、記事は書けないですよね。探究心とある程度の結論が引き出せなければ、記事を書いてお金はもらえないと思うんです。知りたいという情熱がないと。。。

今は、私は、なんでだろうってずっと思ってる毎日が楽しくて好きです。

—–